2019.03.01上野千鶴子さんの譲れない死に方 「理想はボケても独居で在宅死」
こんな記事を見つけました。
認知症にどう備えるか?という記事です。
お時間のある際にご覧になってみてください。
参照元:ヤフーニュース なかまぁる
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190220-00010000-nakamaaru-hlth&p=3
高齢者の4人に1人が、認知症とその予備軍とされる現代。自分がなっても、家族がなっても不思議ではありませんが、その「備え」となると難しいものです。独居の高齢者に注目し、ベストセラーになった『おひとりさまの老後』などで知られる、社会学者の上野千鶴子さんに聞きました。「上野さん、認知症にどう備えていますか?」なかまぁるの冨岡史穂編集長がインタビューします。
冨岡: 上野さんは認知症について、当初は「苦手意識」があったそうですね。関心を寄せるきっかけはなんですか。
上野: 私は昨年、古希を迎え、もう少しで後期高齢者になります。周囲を見ていると、「まさかこの人が?」という人も、ちゃんと認知症になっておられます(笑)。認知症は予防法が分からず、原因が分からず、治療法も分からない。誰がなっても不思議ではないです。
「どういう人が認知症になるか」ということは、よく分かっていません。好奇心が強い人がなりにくい? 包丁を毎日使っている主婦はなりにくい? 意思決定権をいつも行使している政治家はなりにくい? そんなこと、ありませんよ(笑)
私は介護の現場によく行きますが、グループホームではよく元教師の方によくお会いします。ボケても教師らしくふるまって、その場を仕切ってくださる。そっか、元教師、明日は我が身(笑)。私が認知症になったら一体どうなるだろうか、とまじめに考えざるをえなくなりました。
冨岡: 上野さん自身は認知症に対して何か備えていますか?
上野: 認知症予防はできません。「認知症にならないように」という備えは意味がありません。一番大事なのは、認知症に「なったときの備え」です。
冨岡: 「なったときの備え」とは?
上野: 任意後見と身上監護、死後事務委任の三点セットです。遺言書はもう弁護士に預けてあります。海外に出て飛行機に乗ることが多くなった40代から書いています。何年かごとにバージョンを変えて、数年前に自筆遺言証書を弁護士に託しました。
私は独居の在宅死が望ましいと思っています。研究や取材で、独居で認知症になっても在宅死ができるかどうか聞いてまわっていますが、できるという事例が積み重なってきています。
上野: しばしば、「在宅の限界」という、介護業界の切り札のような言葉を聞きますが、それは誰がいつ、どのように決めるのかと思って、「何が在宅の限界なんですか」と、ケアマネジャーさんたちに聞きました。すると、洗剤を飲んだり、夜中に冷凍食品をかじったりするという「異食行動」や、訪問したら家にすっぽんぽんでいたという例を挙げられます。
でも洗剤を飲んだら苦くてはき出すし、夜中に冷凍食品をかじったって、死にやしませんよ。昨年の夏はとても暑かったし、家にすっぽんぽんでいたって、いいじゃないですか。誰にも迷惑をかけていない。本人は困ってないんですよ。私だって、すっぽんぽんで出るかも知れない。つまり、本人ではなく、「ケアする側の限界」なんですね。だったら、ボケても当事者主権を尊重して、本人のしたいようにしていただきたい。
上野: 「独居で在宅で、認知症なんて、大丈夫?」なんて思うでしょう?けど、精神科医の高橋幸男さんによると、独居で在宅の認知症者のほうが、同居の認知症者よりも、問題行動が少なく、穏やかに暮らしているといいます。嫉妬妄想、モノ盗られ妄想も少ない、暴言や暴力も少ない。当ったり前や、引き金引く「同居人」が誰もおらんから(笑)。私は心からほっとしました。少々不自由でも、みなさんに支えて頂いて、機嫌良く、独居で暮らせたらいいじゃないかと私は思っています。
冨岡: 上野さんが洋服も着ないで出てきたら、「あの上野さんが?」と、訪ねた人は驚きますよ。
上野: 私は迷惑しませんよ。迷惑するのはそれを見た相手の方です(笑)。
言論人や文化人が脳梗塞になったり、ボケたりしたら、公共の場から姿を消すのは残念です。人はどんな風に年をとっていくのか、ちゃんと世間にさらしてほしい。アーティストの松任谷由実さんや井上陽水さんにも言っていますが、年齢と共にちゃんと衰えを見せてくださいって。長い間情報発信していた人の社会的責任じゃないかと思います。
ボケた姿を世間に出して、それを見てもらったらいいじゃないですか。それを最期まで見せたのが、樹木希林さんですよ。映画『万引き家族』で入れ歯を外して老婆を演じて見せてくれました。どうってことないじゃないですか。ショックを受けるのは見た方で、本人には日常でしょ。ご立派だったのは、免疫学者の多田富雄さん。脳梗塞(こうそく)で半身まひになって言語障害も残りましたが、車椅子で公的な場に出ておられました。
冨岡: 体面を取り繕いたいと思うのが人情では?
上野: 認知症のかたは体面を取り繕って、つじつまを合わせようとします。プライドが高いから。そのうち、それもできなくなる。全部含めて認知症です。私たちは、そういう人たちと接し、人の老い方を学び、自分の老いに抵抗感が下がるんです。
冨岡: もし、本当に上野さんが認知症になったとして。ケアマネさんは独居の上野さんを尊重できるんでしょうか?
上野: ケアマネさんには当たり外れがあります。だから、私は徒歩10分圏内に、訪問医、訪問看護師、訪問介護スタッフの3点セットを見つけて準備しました。指名制ヘルパー制度を設けている訪問介護事業所があるんです。私は以前から、人気のあるヘルパーがいるなら、指名制をとったらいいじゃないと考えていました。そこのホームページにはキャバクラのように、ヘルパーの顔と特技が書いてあり、自費負担で指名できるようになっています。私自身はまだ要介護認定を受けていませんが、すでに「おひとりさまプラン」を契約しました。自宅の鍵を預けて、万が一の時の連絡先情報も提供してあります。
冨岡: 高齢者の4人に1人が認知症とその予備軍とされる時代です。
上野: メディアは認知症の悲惨な例ばかり出しますが、独居やグループホームで、機嫌良く暮らしている人もいます。もっとポジティブな例を出してくれたらいいのにね。独居の在宅死は決して、孤独死ではありません。認知症でも在宅で見送ったという例は生まれています。
冨岡: お金の問題はありませんか?
上野: 現場の専門職の、制度の使い方がうまくなっています。医療保険や介護保険の一割負担のみ、自己負担無しで、独居の在宅みとりができるようになったと聞きました。
自己負担額も思ったほどでもないという例も聞いています。私が契約しているNPOの訪問介護事業所に、在宅みとりで、自己負担の最高額はいくらか聞いたら、月額160万円の人がいました。びっくりしましたけど、期間は2カ月くらいで総額300万円ちょっと。そんな目をむく金額でもありません。一日24時間しかありませんから、それ以上使おうたって、使えない。みとり体制に入ってからは2週間から3カ月程度、何年も続くわけでもない。300万円といえば葬儀費用と同じくらい。死んでから使うより、生きているあいだに使えばいい。
おひとりさまの多くは、お金を残して死んでいます。使って死ねよ、って思います(笑)。使って死んだ方が内需拡大に貢献しますし。
冨岡: 上野さんは、ご自分が「すっぽんぽん」で過ごしてもいいじゃないと言われますが、認知症になると「素が出る」といいますので、私は暴言を吐いて、暴力的になるんじゃないかと心配です。
上野: あなた、自分を抑圧しているんじゃないんですか?(笑)「素が出る」というのは抑圧が外れたということでしょう。映画「毎日がアルツハイマー」の関口祐加監督がおっしゃっているけど*、しっかり者できれい好きだった母が、認知症になったらはじけていい加減になって、これがこの人の素だったのねって。「生涯の最後に役割から解放されて自由になれてよかったね、お母さん」と受け止めた。それを、自分自身の学びにもした。
周りの人がその人のありのままを受け入れたらいいんですよ。人からどう見られるか、ということを気にしなくなるのが、ぼけるということ。老いの恵みです。
うえの・ちづこ 1948年生まれ。認定NPO法人WAN理事長。東京大学名誉教授。女性学で知られ、介護や終末期の問題にも、研究対象を広げている。著書に、『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(朝日新聞出版、小笠原文雄氏との共著)など。
*「毎日がアルツハイマー」映画監督の関口祐加さんが、アルツハイマー病と診断された母ひろこさんとの日々を撮ったドキュメンタリー映画3部作。現在は、3作目の「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル ~最期に死ぬ時。」が公開中。